志太民芸家具の誕生            

志太民芸家具ではひとつの家具が出来上がるまで一人の手で作る等大手の家具屋さんでは
真似のできない 建具の技術が取り入れられた家具です。 かまち( 框 )つくりと言って
建具の構造が使われています。         

先代は静岡県藤枝市の建具職人でした。先代に厳しく仕込まれた2代目は若くして親でもある
師匠を20歳の時に亡くし苦労しながら家業の建具店を経営していました。昭和45年代住宅
木製建具はアルミサッシドア-に変わり木製建具の需要が限られて行く中で建具の技術が
取り入れられた何かが出来ないものかと考えました。

最初に作った物は細かい手作業の組子が入った衝立でした。その様な衝立てを何本か作り
見本市に出品しました。見本市で家具屋の下請けを頼まれ何回か家具屋の下請けしましたが
所詮下請けでは限られてしまいます。そこで手に職があるのですから自分の家具を作る事を
考え、何品か作り見本市に出品し販路を見つけました。

今の家具は勿論その頃の家具も量産の家具が多く殆どが機械化され組立する製品でした。
某 デパ-トに問屋さん経由で大きなたんすを納入した事がありました。この箪笥は3段に
分かれていました。2階に納入する時下台になる箪笥を落としてしまい デパ-トでは
もう大変な事になり私共に電話で状況を説明してきました。兎に角商品を見てみない事には
修理できるかは解りません。商品である箪笥の下台が工場に届き修理をして返送しました所
とても吃驚していました。普通の作りですと2階から家具を落とせば家具はばらばらに
なります所が志太民芸の箪笥は 家具がゆがんでいただけでした。

民芸家具が売れ始め家具のブランド名が必要になりました。色々考えましたがこの地方は昔
志太地方と呼ばれていましたので 志太民芸と言う名前が付きました。お客様からは
こころざしが太く とても良いブランド名だと言われました。

志太民芸家具は海外の家具展示会にも多く出展しました。

志太民芸家具は海外の見本市に多く出展した経験があります。
コラム 1  1983年    3月    米国 ロスアンゼルスギフト見本市
コラム 2  1984年  11月    シンガポ-ル 国際見本市
コラム 3  1987年  4月    ハイポイント見本市と初めてのホ-ムステ-
コラム 4  1989年    1月 7月  米国  テキサス州ダラス国際見本市
1990年   1月    米国  テキサス州ダラス国際見本市
コラム5   1992年         米国販売拠点開業 現地法人開設
コラム 6  1994年    1月    ドイツ ケルン国際家具見本市
       1995年   1月    ドイツ ケルン国際家具見本市

 ケルンの国際見本市出展は事務局からのとても厳しい審査があり
ノミネ-トされた業者だけに出展許可が与えられます。

1994年 1月     ドイツ ケルン国際家具見本市 2回目の出展